週刊文春編集長の仕事術を読んで

パパラッチのようなあまり良い印象のない雑誌。

週刊文春に対する私の印象はそれだけでした。

読んだこともないのにひどい話ですが、数々のスキャンダルを取り上げてきたという事実のみが抱かせたものです。

現代人には多いかもしれませんが、マスコミへの信頼感がありません。

その編集長の仕事術。

ということで、何か面白い話が読めそうかなと思い、手に取りました。

 

読み進めて思ったことは、どこの場でもトップにいる人は常に頭をフル回転させて、気を使ったり多くのことを見渡しているということでした。

「人間対人間でとことん付き合う」

「まず頼んでみる。断られてからが仕事」

「モチベーションを高める仕組みを作れ」

「とにかく明るい編集長」

やはり人間関係を大事にすることが仕事として重要になってくるのだと痛感しました。

このような職種で無くても、このくらいの気持ちで仕事をしていれば人間関係が悪化することはないのではないか。と思うくらい、勉強になりました。

 

かなりのプライドを持って記者たちはスクープを取りに行っています。

「伝えなければならない事実がある」

その使命感によって記事が作られているわけです。

逆に、とんでもない事実に出くわした時に「ふーん」で終わらせられるような人間には記者は向かない。と言います。

報じられた側からすれば取材して欲しくないようなことも、読者が面白いと感じることであれば必要性があると感じている。

そこに大義を見出して仕事をしていることがこの本からわかります。

正直、サイコパスのような心を持たない人だからこそマスゴミと言われる行動が取れるのだと思い込んでいましたが、この本を読んで少し印象が変わりました。

 

「売り出し中の若いアイドルのスキャンダルには、かわいそうだと思うが現場がせっかく張り込んで撮ってきたネタだとせめぎ合いがある。」

報じられた側のことも忘れない。決してサイコパスなどではなくかなり人間くさい人が編集長でした。

週刊文春の見方が変わりそうな、読んでみたいと思わせるような1冊でした。

1億円の借金を背負ったらどうするか。

「借金の底なし沼で知ったお金の味」金森重樹

 

まず、表紙を見て

25歳フリーター、借金1億2千万、利息24%からの生還記

とあったので、なぜ25歳のフリーターがこのような大金の借金が出来たのだろうか。と単純に疑問に思いました。

普通の正社員で働いているだけでは、1億円の借金など作ることも難しいでしょう。

住宅ローンで数千万のローンを組んでいる人は多くいますが、あれは使い道が明確になっているから組めるのであって、ただ普通に借金するだけなら1億円の借金を出来る人は多くないはずです。

 

その疑問を解消すべく本書を読み進めると、恐ろしい出来事にページを次々とめくっていくこととなりました。

著者は田舎から東京に出てきた、いわゆる上京してきた普通の大学生でした。

服屋に行くとなぜか80数万円のローンを組まされ、それが上京した最初の思い出として語られました。

「東京には悪い人がたくさんいるから気をつけなさい。」

という母の言葉が的中してしまったのです。

この章の終わりとしては、母にクーリング・オフの手続きを聞いて終わっていたのですが、なぜかその次の章ではパチンコにハマる。という経験もしながら、普通の道から少し外れた道を自ら選ぶことになります。

 

著者が1億円もの借金を背負った理由。

それは、投資でした。これを投資というのか、投機なのか、果たして詐欺なのか。

と思いましたが、

最初は生糸の取引を投資しました。

取引の専門家に言われるがまま、投資をしてしまったのです。

あの時、著者の手元に母親から預かったマンションの頭金1000万円が無ければ、このようなことにはならなかったでしょうか。

それでも現在の著者は

借金が自分のメンターだった。

と言っています。

借金があったからこそ、死ぬ気で働いて、勉強して、借金を返して資産を作り上げた。

その思いが伝わってきました。

 

投資の失敗に次ぐ失敗を取り戻そうとして借金を重ねた結果、手仕舞いまでに5000万円を超える大損を作り出しました。

そして、取引の専門家は1400万円を超える手数料を手にした。

その分を見たとき、なぜこのような酷いことを専門家はできるのだろうか。と本当にわかりませんでした。

自分の成績のためにカモにする。

自分には理解できませんが、このような思考の人がある一定数存在して、いつどこからその人たちと出会ってしまうかわからない。

だからこそ、自分で考えて決断する。ということがいつ何時も必要なんだな。と思いました。

著者も、そのことを伝えたくてこの本を書いたような気がします。

 

借金返済の最初の手がかりは、簿記の中にあった。

会計の知識の習得はお金持ちにあるためには避けて通れない。と著者は語ります。

 

最終的には、「毒をもって毒を制す」

借金をすることでお金を作り、それを元手としてお金を作り出していました。

日本はお金の教育は学校で全く行いません。

東大に入るような著者でさえ、1億円の借金を背負わされてしまったのです。

お金の勉強、そして自分で考えて決断する。考えることを他人に任せない。

これだけは絶対に忘れてはいけないことだと、悲惨な体験から著者が教えてくれました。

史実を歩く。

史実を歩く。

 

歴史小説で高い評価を得ている吉村昭氏のどのように執筆にあたり、どのように調査をしているのか。

これは、その「取材ノート」のような本でした。

 

 

私が吉村昭氏の小説を読んだのは「羆嵐」は最初でした。

実際に起こった三毛別羆事件を元にした小説で、読んだときは衝撃を受けて一気読みをしたことを思い出します。

事件の凄絶さもさることながら、当時の人々の心境や細かいところまで緻密に描かれた作品にグイグイ引き込まれて行きました。

その緻密な作品の生み出し方がわかる本でした。

 

この本を読み始めて感じたのは、歴史小説とはこれほどまでに取材を重ねていくものなのか。という驚きでした。

極悪脱獄犯を描いた「破獄」の際の取材では、行啓関係者の口のかたさに苦労をした様子が伺えました。犯罪者とはいえ、プライバシーを損なうような書き方をされては困る。という心理もあるので、そこは苦労をするのは仕方のないことであったかもしれません。

吉村氏が事実をそのまま書いていること、犯罪者を仮名にして記載していることを受けて何とか取材にこぎつけても、それで終わるものでもありませんでした。

人への取材だけでなく、資料の確認ももちろん行います。しかし、どちらも間違っている可能性があるのです。

天気も、小説では大事な要素です。

資料では雪だった。とあっても鵜呑みにせず、気象台への確認を行ったり、取材の折にその夜の天気を覚えていますか。という質問もして出来る限りの確認を行っています。

「私は、印刷された書物を全面的に信用することが危険であるのを何度も経験しているので」

という記載は、氏の苦い経験を感じさせました。

 

事実にひたすら向き合う。という姿勢は、氏の矜持だったのでしょう。

原稿用紙200枚以上を書いているものでも、途中で間違いに気づいたらそれを燃やしたそうです。

その内心について、「いったい何をしているのだ。と自らをなじるような思いであった。」小説書きとして劇的な書き出しがかけることに惑わされ、事実が違うことに気づけなかったことを恥じる内心が伝わってきました。

 

そして、小説は書いたらそれで終わり。というものではないという点も私には新鮮でした。歴史小説であると、その舞台となった土地の人から新しい情報や言い伝えなどを手紙で知ることがあるようで、そのやり取りがきっかけで修正や加筆をすることもあるとのことで、小説を形作る要素になっているのです。

小説家の凄さ、プロとはどういうものか。をまざまざと感じさせられました。

プロとは、ここまで考えて使える言葉だったのです。

 

余談ですが、私が読んだ本は第5刷で平成10年12月10日発行のものでした。

初版は平成10年10月20日で、短期間に増刷されていることに驚き、小説ではありませんが吉村昭氏の取材が評価されているような気がして少し嬉しくなりました。

 

そうだ、葉っぱを売ろう!は本当は何を売ったのだろうか?

 

過疎の町、徳島県上勝町というところが舞台のノンフィクションの本。

「そうだ、葉っぱを売ろう!」

 

 

転機は異常寒波でのミカン全滅だった。

1981年2月。

町の主要産業であったミカンの木が局地的な大寒波が上勝町を襲い、強制的に今まで経験してこなかった産業へと手を広げることが求められた。

本書の題名である、葉っぱを売る。という部分に行き着くまでは容易な道では無かったことが記されている。

葉っぱを売る。という常識外の題名に惑わされて葉っぱの話ばかりが出てくるかと思いきや、この本で語られているのは過疎の町でいかにして生き生きと暮らすか。

そのための秘訣が綴られていた。

 

元々は主要産業にはみかんがあったが、災害によりダメになった。

イモ、夏ワケギ、分葱、といくつもの挑戦。

やってみると、元々のみかん・米と比べると短期間で収入が得られた。

この成功体験により、人々が他のことをやることへの抵抗感がなくなり、本書の葉っぱへと繋がった。

 

本書の鍵となる「葉っぱ」が何故売れたのか?

この葉っぱは料理の妻物(ツマモノ)になり、刺身や吸物に用いられるつけあわせのことである。

ただ葉っぱを集めてただ売ればいい。という簡単なものではない。

最初は本当に集めたものをただ売った。

だから、5円10円の世界だった。

このままではいけない。ということで、筆者の横石さんは自腹で料亭をまわり、妻物の勉強をした。

自然のままが良いと思っていたが、それでは使えない。ということもそこで学んだ。

しかし、その勉強のやり方がえげつない。

「旅費の経費は全部自腹で賄った。当時私の給料は手取りで15万円くらいで〜〜」

の次の文章に、

「1回に2、3万円くらいかかるので、月に7、8回行けるかどうか」

とあった。

ここで、ん?と思考が止まる。

計算すると、手取り丸々か、少し多いくらいになる。

どういうことかと思いつつ読み進めると、

「家には一円も入れていなかった。」

とあって非常に驚いた。

現代では考えられない感覚だと思う。(もしかすると、当時でも珍しい部類かもしれないが)

しかし、これを奥様は許していた。

横石さんの両親と同居して生活費を頼っていたからだというが、3人の子供抱えつつ働いている。となれば生活費を請求したくなるものである。

だが、出さない夫に嫌々付き合っていたのかと言えばそうでもなかった。

「男の人はいつもほれぐらいもっとらな、あかんよぉ」

と言い、いつも快く資金を貸してくれたそうだ。

奥様が支えてくれる。

この安心感により、仕事に打ち込むことが出来てこの成果につながったように思った。

 

 

 

この過疎の村を立て直す。という本でいえば、神子原米を立ち上げた

ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?」

が思い出される。

この本の舞台である石川県は、私の地元であるため非常によく覚えている。

とても良い本だった為、妹にも読ませたところ彼女にも好評だった。

その際、妹の友達にこちらの本の舞台、神子原町の隣町の子がいるらしく、

「こっちの米とあっちの米(神子原米)とそんなに味変わらん。」

といっているという話を聞いた。

確かに、少ししか離れていない集落でこれだけ評価が違えばそう思いたくなるのも仕方ないか。

と聞いた当時は思ったが、今回「そうだ、葉っぱを売ろう!」この本を読むとその考えは浅いと感じた。

それが詳しく書かれているのが第7章の5(的を射る、場面を作る、渦を巻く)

「場面」「価値」「情報」「仕組み」

が渦を巻いているからこそ、評価されて売れている。

とある。

葉っぱは食べられないから、物としては5%ほどの価値しかない。

しかし、場面としての使い方が絶妙だった。

例えば、柿の実。

この町では「実」の方よりも「葉」の方が価値がある。

料理の添え物として出荷するのだから、綺麗な柿の葉であることが重要なのだ。

 

柿の葉寿司というものをご存知だろうか?

お寿司を柿の葉で巻いたものだが、私の実家ではお盆やお正月などの人が集まる場面ではよく出てくる。

思い起こすと、確かに綺麗な柿の葉で包まれている。

あれに使われているのか。と思うと確かに需要があるなと納得した。

 

「最高の場面」を演出することにより、食べられる実の方が価値がある。という常識を覆し、柿の葉が柿の実よりも高値がつく。

 

「場面作り」のための発想の転換が、今の時代は大きなポイントになっている。

 

本書は2007年に発行されたものだが、この言葉は2020年現在でも色褪せないような気がした。

今後の社会のあり方にも大変勉強になる本だった。

男脳と女脳

男脳と女脳

脳科学者の茂木健一郎

 

女性と男性の違いを書いた本と言えば、

話を聞かない男、地図が読めない女

察しない男 説明しない女 男に通じる話し方 女に伝わる話し方

などが一時期話題になったことを思い出します。

 

どちらが良い・悪いではなく、違いというものは必ず存在するため、この違いを認識しておくことが重要であると言えます。

私も、社会人になって一人目の上司は話を聞く人でしたが、二人目は忙しいことも影響してほぼ話を聞かずに結論のみを求めてきたため、その上司には経過はほぼ報告しなかったことを思い出しました。

どちらも男性ではありましたが、二人目は男性脳だったのだとこの本を読んで気づきました。

 

 

ざっくりいうと、女性脳は共感、男性脳はロジックや論理を司っています。

もちろん、仕事ではデータや数字で判断することが多いですが、一流の仕事をする人はデータのみに頼らず、感性を大事にしている人が多いです。

つまり、成功者は男性脳と女性脳のバランスが良い。ということです。

イノベーションは男脳と女脳の組み合わせ。つまりは、男女のハイブリッド化を目指すことが重要であると言えます。

これからの時代は変化の時代と言われています。

それはハイブリッド脳であれば柔軟に対応していけるのではないでしょうか。

共感力と深い専門性を掛け合わせて行くことが、これから仕事としても人生としても重要になっていくように思いました。

ハイブリッド脳には、雑談が大事だと本書には書かれています。

日本人は雑談が苦手で、ともすればサボっていると思われがちですが、

どんなに忙しい時でも雑談することは脳の健康にも良い。

脳科学でも言われているそうです。

著者がイギリスのケンブリッジ大学に行っていたとき、大学の設備で最も需要視されていたのはお茶を嗜む部屋でしたし、アメリカでも雑談の時間が設けられていることが多いと言います。

雑談に対するイメージを日本人は変えていくことも大事だと思いました。

 

 

 

最後に、私がこの本の中で一番印象に残った言葉がガラスの天井でした。

 

奇しくも、今はアメリカの大統領選挙で盛り上がっています。

4年前、ヒラリー・クリントン候補が現在のトランプ大統領に敗北した際、

ガラスの天井を打ち破れなかった。

といったことを覚えているでしょうか。

私はこの言葉が忘れられず、ジェンダー的な使われ方をするものだと認識していたのですが、この本によると脳科学では

「ガラスの天井」とは、人が無意識に作っている世界。

のことをいうそうです。

男でも女でも、人が無意識に作っている世界はあります。

人は自分の考えを基準にしていますので、自分の不得意な方の脳は疎かにしがちです。

ですが、男脳と女脳のハイブリッド脳を手に入れるためには打ち破らなければいけないもの。であることは間違いありません。

 

自分がどちらの脳が優位であるか。

を理解しつつ、不得意な方を鍛えることをしていくことは今後の人生に大変重要であると思いました。

 

モチベーションを考えて働く。

モチベーション革命

稼ぐために働きたくない世代の解体書

 

高度成長期の何もなかった世代と、現代のすでにある世代。

現代のすでにある世代のモチベーションに関する本でした。

印象的だったのは、googleが調査した生産性の高いチームの共通の要素の話で

「おたがいの心遣い、配慮や共感」

が決定打だったということです。

強制的に仕事をさせるということは生産性を低くしてしまう。

この話を見たときに、私はイソップ寓話の「北風と太陽」を思い出しました。

旅人のコートを物理的に脱がせようと北風が勢いを強くしても逆効果で、その後太陽が照りつけて暑さによって旅人が自分からコートを脱いだ。

という話だったと記憶しています。

この話も、人に行動させるには外部が強制的にあれこれと手を尽くすよりも、本人の意思で動くようにする方が有効である。という意味の教訓が読み取れます。

イソップ寓話として語り継がれてきたお話ですのでかなり昔からある物語だと思いますが、現代で実際のデータとして証明されたんだなと思うと昔話なども侮れないなと感じます。

現代に生きてこの情報を知った身としては、この考え方を利用しない手はないでしょう。

仕事をする。働く。ということは、自分のことだけを考えるのではなく、他者への配慮や共感を上手く使っていくことも求められているように思います。

毎日毎日、ルーティンのような仕事をしていると他人への配慮にかける場面が出てくることもありますので、そんな時はこの情報を思い出したいと思います。

 

同時期に、

「頭のいい人」より「感じのいい人」―人から好かれる「笑顔の技術」

という本を読みました。

笑顔コンサルタントという初めて聞いたコンサルの方ですが、名前の通り笑顔の指導をされてきた方です。

この本でも、仕事ができることはもちろん大事ですが、それ以上に笑顔の効果。というものを書かれていました。

笑顔というものはもちろん仕事だけでなく、むしろ家庭や友人関係にも大きな影響を表します。

この方のクライアントの中で、夫婦でも指導を受けた後の話を聞くと、

相手に話しかけやすくなった。雰囲気が変わった。

などの効果があり、笑顔の影響力を感じました。

 

 

これら2つの本を読み、「笑顔」と「他者への配慮」を忘れずに使っていくと、仕事も人間関係もスムーズにいく気がします。

実際、今の私の上司は雰囲気が良く、いつでも話を聞く姿勢があって他者への配慮を感じますし、ときどき冗談なども言って笑顔になる場面もあります。

働きやすくなったと感じていましたが、今回の本を読むことにより原因が多少わかったような気がしましたので、真似から始めていきたいと思いました。

人はなぜ働くのか。私はどのように働くのか。

14歳でおっちゃんと出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」 [ 川口 加奈 ]

 

大阪でNPO法人の理事長を務める方のお話でした。

アドセンターという民間のセーフティネットを管理されている方だということは知っていましたが、非常に苦労されて今のアドセンターまで辿り着いたことは知りませんでした。

特に、自分から主導権を握って活動を始めたわけではない。という点には驚きました。

勝手な思い込みですが、このような活動をされる方というのは自分で確固たる意思があってこそ活動を続けられるのかなと思っていました。

 

ホームレス支援をされている方の自叙伝ですが、正直自分がホームレスになるという想像はあまり出来ませんでした。

私の場合は会社が倒産したら現状では無職になりますが、貯金がある程度ありアルバイトだけでも生活していくことは出来る。

親兄弟にいざとなれば頼る道もある。

親の持ち家に戻ることも出来る。

この状況では自分が生活保護やホームレス、ネットカフェ難民になることが現実的にイメージは難しかったです。

 

ただ、印象に残ったのは負のトライアングル。

仕事・貯金・住まい

の3つを手に入れないとホームレス生活からの脱却は難しい。

と著書には書いてありましたが、ホームレスへ入り口はまずは仕事が無くなったことから始まるのだなと思いました。本に出てくるおっちゃんたちも会社が倒産したり、事情があって仕事を辞めたりしたことにより路上生活に繋がっていました。

仮にお金が充分あれば住まいも貯金もあり、住まいがあれば仕事も容易にとは言いませんがアルバイトやパートならば働き口はあると思います。

しかし、通常の人の収入源は仕事ですので、仕事がなくなった場合にお金の供給源が断たれてしまう。

自分の仕事をいかにして確保していくか。

最近では10~30代のホームレス(ネットカフェ難民)も増えているとのことですし、これは他人事では無いことだと思いました。

 

 

働くとは、はた、つまり周りを楽にする。ということだよ。と聞いたことがあります。

お金が無いからホームレスになったけれど、ハブチャリでの仕事を通して「おっちゃん」たちはお金以外のもの、働くことの意味を得たように感じました。

 

初給料を大量のカップ麺に変えて事務所に差し入れした「おっちゃん」

川口さんの誕生日にケーキや服をプレゼントした「おっちゃん」たち

 

そしてそれは、著者の川口さんが一番感じていたように思います。

一方的な支援を望まなかったことからこそ、きちんと「働く」ことを目指して

「支援を目的としたものではなく、便利だから使われるサービス」

としてハブチャリを立ち上げました。

周りを巻き込んで行くことを実現し、ビジネスとして形にしたところに凄さを感じました。

 

自分ははたを楽にしているのか。

自分だけ楽をするようなことをしていないか。

周りのことを考えて仕事をしているか。

今後会社に所属するにしてもしなくても、仕事をしていく上で「働く」ことを考えさせられる本でした。