そうだ、葉っぱを売ろう!は本当は何を売ったのだろうか?
過疎の町、徳島県の上勝町というところが舞台のノンフィクションの本。
「そうだ、葉っぱを売ろう!」
転機は異常寒波でのミカン全滅だった。
1981年2月。
町の主要産業であったミカンの木が局地的な大寒波が上勝町を襲い、強制的に今まで経験してこなかった産業へと手を広げることが求められた。
本書の題名である、葉っぱを売る。という部分に行き着くまでは容易な道では無かったことが記されている。
葉っぱを売る。という常識外の題名に惑わされて葉っぱの話ばかりが出てくるかと思いきや、この本で語られているのは過疎の町でいかにして生き生きと暮らすか。
そのための秘訣が綴られていた。
元々は主要産業にはみかんがあったが、災害によりダメになった。
イモ、夏ワケギ、分葱、といくつもの挑戦。
やってみると、元々のみかん・米と比べると短期間で収入が得られた。
この成功体験により、人々が他のことをやることへの抵抗感がなくなり、本書の葉っぱへと繋がった。
本書の鍵となる「葉っぱ」が何故売れたのか?
この葉っぱは料理の妻物(ツマモノ)になり、刺身や吸物に用いられるつけあわせのことである。
ただ葉っぱを集めてただ売ればいい。という簡単なものではない。
最初は本当に集めたものをただ売った。
だから、5円10円の世界だった。
このままではいけない。ということで、筆者の横石さんは自腹で料亭をまわり、妻物の勉強をした。
自然のままが良いと思っていたが、それでは使えない。ということもそこで学んだ。
しかし、その勉強のやり方がえげつない。
「旅費の経費は全部自腹で賄った。当時私の給料は手取りで15万円くらいで〜〜」
の次の文章に、
「1回に2、3万円くらいかかるので、月に7、8回行けるかどうか」
とあった。
ここで、ん?と思考が止まる。
計算すると、手取り丸々か、少し多いくらいになる。
どういうことかと思いつつ読み進めると、
「家には一円も入れていなかった。」
とあって非常に驚いた。
現代では考えられない感覚だと思う。(もしかすると、当時でも珍しい部類かもしれないが)
しかし、これを奥様は許していた。
横石さんの両親と同居して生活費を頼っていたからだというが、3人の子供抱えつつ働いている。となれば生活費を請求したくなるものである。
だが、出さない夫に嫌々付き合っていたのかと言えばそうでもなかった。
「男の人はいつもほれぐらいもっとらな、あかんよぉ」
と言い、いつも快く資金を貸してくれたそうだ。
奥様が支えてくれる。
この安心感により、仕事に打ち込むことが出来てこの成果につながったように思った。
この過疎の村を立て直す。という本でいえば、神子原米を立ち上げた
「ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?」
が思い出される。
この本の舞台である石川県は、私の地元であるため非常によく覚えている。
とても良い本だった為、妹にも読ませたところ彼女にも好評だった。
その際、妹の友達にこちらの本の舞台、神子原町の隣町の子がいるらしく、
「こっちの米とあっちの米(神子原米)とそんなに味変わらん。」
といっているという話を聞いた。
確かに、少ししか離れていない集落でこれだけ評価が違えばそう思いたくなるのも仕方ないか。
と聞いた当時は思ったが、今回「そうだ、葉っぱを売ろう!」この本を読むとその考えは浅いと感じた。
それが詳しく書かれているのが第7章の5(的を射る、場面を作る、渦を巻く)
「場面」「価値」「情報」「仕組み」
が渦を巻いているからこそ、評価されて売れている。
とある。
葉っぱは食べられないから、物としては5%ほどの価値しかない。
しかし、場面としての使い方が絶妙だった。
例えば、柿の実。
この町では「実」の方よりも「葉」の方が価値がある。
料理の添え物として出荷するのだから、綺麗な柿の葉であることが重要なのだ。
柿の葉寿司というものをご存知だろうか?
お寿司を柿の葉で巻いたものだが、私の実家ではお盆やお正月などの人が集まる場面ではよく出てくる。
思い起こすと、確かに綺麗な柿の葉で包まれている。
あれに使われているのか。と思うと確かに需要があるなと納得した。
「最高の場面」を演出することにより、食べられる実の方が価値がある。という常識を覆し、柿の葉が柿の実よりも高値がつく。
「場面作り」のための発想の転換が、今の時代は大きなポイントになっている。
本書は2007年に発行されたものだが、この言葉は2020年現在でも色褪せないような気がした。
今後の社会のあり方にも大変勉強になる本だった。